東京地方裁判所 昭和52年(ワ)2866号 判決
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【説明】
紘一(被害者)は海上自衛隊大湊航空隊に所属する二等海尉で、昭和四五年三月一二日三沢―松前基地間の物件輸送の目的をもつて本件ヘリコプター(機長津田慶一・一等海尉以下五名塔乗)に副操縦士として塔乗中、同機が同日午前一〇時一八分ころ青森県下北郡黒崎燈台の一四九度(南東)約一八キロメートル付近の陸奥湾に不時着水し、紘一は同機を脱出して海上を漂流中のところを救助されたが、漂流の間の寒冷と疲労による急性心不全のため同日午後一時三五分海上自衛隊大湊地区病院において死亡した。
【判旨】
4(一) 不時着水後、津田機長は機体の水平を保持する為の操作をしながら、同乗者のうち大和国民二等海佐は体験塔乗者でありまた耐水服・耐寒服もなかつたため、機体が横転する危険性の少ないうちに安全に避難させようと考え、同乗の池田・水口両航空士をして脱出準備を為さしめた。右脱出を安全にするため、津田機長は機体方向を少し変化させる操作をするなどして、大和二等海佐及び二名の航空士を事故機からMK―4(四人乗り救命浮舟)に乗り移らせた、その結果、事故機には機長(正操縦士)である津田と副操縦士である紘一のみが残つた。
(二) ところが間もなくして、津田磯長は紘一から「第一エンジン丁五(排気温度)がおかしい」という報告を受けたため、このままではエンジンが爆発する危険性があると判断して第一エンジンの停止を命じた。右故障に引き続いて、テール・ローターが故障し、事故機は徐々に施回するようになつた。
(三) そこで、津田機長は、機体を放棄して脱出することもやむなしと判断して、そのための協力して可能な脱出手順を紘一と打ち合わせようとした矢先、紘一が「水が入つて来ます。出ます。」と言つて自席側の緊急脱出用ドアを開き、機長の指示もないのに脱出にかかつた。「待て、寒いから準備せよ。」と機長が口頭で制止したにもかかわらず、紘一は防水服・救命胴衣の十分な点検もせず、また操縦士用の個人用救命浮舟を用いることもなく脱出してしまつた。津田機長は、この間事故機の水平を保持するのが精一杯で、物理的な方法で紘一の脱出を制止することは到底不可能であつたし、同人の具体的な脱出状況も確認できなかつたのである。
5 津田機長は、一人で事故機に取り残されたのであるが、いまだに同機を保持する余地もあつたし、また単独で脱出することも困難となつたため、懸命の操縦によつて、約二時間後に荒内川河口付近の砂浜(H地点)に機体を擱座させた。先に救命浮舟に乗り移つた二名の航空士および体験塔乗者である大和二等海佐は、事故機からの緊急通信によつて捜索救助にかけつけた大湊航空隊(一番機)によつて、同日午前一〇時五四分事故機とともに発見され、機長とともに無事救助された。事故機の西方約五〇〇メートルの海上に漂流していた紘一は、同日午前一一時七分右航空隊(二番機)によつて救助され海上自衛隊大湊地区病院に収容されたが、前記のとおり同日午後一時三五分漂流中の寒冷と疲労による急性心不全が原因で死亡した。
三被告の責任について
1 一般的に、被告(国)は国家公務員に対し、その遂行する公務の管理にあたつて、国家公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負つているものと解するを相当とする。そこで、本件の場合において、被告が原告ら主張のとおり紘一に対する安全配慮義務を履行していない点があるか否かについて検討する。
2 先ず原告らは「津田機長は、事故機が水陸両用のヘリコプターであることに鑑み、降雪域を発見した以上、一旦陸上に着陸して気象の変化を見極めるべき注意義務を負つていたにもかかわらず、右注意義務を怠つた」旨主張する。
確かに、<証拠>によれば、降雪時の飛行に際してはエンジン・アイシングの危険性があるので十分に注意すべきことが認められる。また、同日午前一〇時過ぎころには、事故機は周囲を降雪域に囲まれ進路に窮する事態に陥つていたことは、前記二の3の(一)に認定したとおりである。
しかしながら、<証拠>によれば、事故機の重量は自重五三五一キログラム、燃料その他の積載物を合計するとおよそ9.5トンにもなる為、着陸するにしても平坦な堅い場所が必要であること、従つて事故当日のように雪が降り積もつているような場合にむやみに着陸すると横転する危険が存したこと、他方大湊基地からの気象情報によれば、大湊上空の雪は間もなくあがるものと判断され、さらにむつ横浜方面の降雪域の幅は二ないし三マイル足らずであるので、右程度の降雪域ならば本件ヘリコプターの速度からして一分あまりで突破できること、事故機にはエンジン・アンテイ・アイス(氷結防止装置)が設置されていたばかりか、不時着水事故に備えて四人乗り救命浮舟や個人用浮舟が用意されていたこと、以上のような事情を考慮した結果、津田機長は降雪域の一番弱い箇所を突破して大湊基地へ帰投することが最も安全であると判断したことが、それぞれ認定できる。
以上の諸事実を前提として、前記二の3で認定した本件ヘリコプターの不時着水に至る経緯を考察するならば、そもそも「津田機長は、降雪域を発見した以上、ひとまず陸上に着陸して気象の変化を見極めるべき注意義務を負つていた」旨の原告らの主張は理由がないといわなければならない。むしろ、前記二の1ないし3で認定した津田機長の本件ヘリコプターの運航は、その何れの時点においても、機長としての注意義務(任務)を適切に遂行したものと解することができる。
3 次に原告らは「津田機長は、不時着水後、紘一に対して脱出する為の適時・適切な指示を行なうべき注意義務を負つていたにもかかわらず右注意義務を怠つた」旨主張する。
<証拠>によれば、大湊基地においては、本件のような事故に備えて寒冷水域での緊急脱出訓練を年に幾度か実施しているが、紘一は右訓練に際しては指導班に属しており、本件のような不時着水事故に対する十分な知識を有していたものと認められる。従つて、右事実をも加味して前記二の4において認定した不時着水後の経緯を総合考察するならば、津田機長の不時着水後とつた措置中には、何らの不適切な点もみあたらないと断じてさしつかえなく、原告らの右主張も理由がない。
4 以上説示のとおり、前記2および3の原告主張は採用できないものである。却つて、前記認定の如く、「副操縦士である紘一は事故機からの脱出を急ぐあまり、耐寒耐水服の装着を十分行なわず、また個人用浮舟の準備もせず、機長の制止を無視して機外に飛び出し、海上を漂流したため、寒冷と疲労が原因となつて死亡したものである」。されば、紘一の死亡が本件着水事故と法的な因果関係のないことは明らかである。前記以外に紘一の死亡について被告の責任を首肯せしめるに足りる証拠はない。
(藤原康志 山崎末記 金井康雄)